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東京家庭裁判所 昭和39年(家)1122号 審判 1964年2月28日

申立人 田口冬子(仮名)

相手方 宮井幸男(仮名)

未成年者 宮井一男(仮名) 外一名

主文

未成年者宮井一男及び同宮井美子の親権者を、いずれも相手方から申立人に変更する。

理由

一  申立人は未成年者宮井一男及び同宮井美子の親権者を相手方から申立人に変更することを求め、相手方は、未成年者宮井美子についてはこれを認め、同宮井一男については応じない。

二  当裁判所が取調べたところによれば、次の事実が認められる。

(一)  申立人と相手方とは、昭和三三年一一月二日挙式の上同年一一月二五日婚姻届を了した夫婦であったが、相手方の異性関係を主たる原因として、同三八年八月二七日協議離婚した。この間申立人は相手方と共に新潟県佐渡において生活し、長男一男(昭和三五年五月六日生)及び長女美子(昭和三七年四月一二日生)を儲けたが、離婚に際してはその親権者をいずれも相手方と定める一方、当時すでに東京に移り住んでいた申立人が美子を引取り、相手方は一男を佐渡に引取ってそれぞれ養育することとした。

(二)  しかし相手方は、佐渡に一男を連れ戻るやその翌日即ち昭和三八年三月二九日、自ら養育することの困難を慮って叔母小村マツに一ヵ月金一万円を支給することで一男の養育を委託し、自らは調理士としてホテルの社宅に住み込むに至った。爾後一男とは一過に一度接触するにとどまり、特に同年一二月から本年三月までは新潟県加茂市のスキーロッヂに出向して、この間佐渡には戻らず、従って一男とは面接すら期待されない生活状況にある。而して小村マツは、桶職人の夫との間に一七歳と一二歳になる一男一女があり、昭和三八年九月以降は一男を近くの保育所に通わせ、その費用も相手方から支給されているが、相手方からは、本件のきりがつくまでといわれて預ったので、いつまでもこのような状態が続くことを期待しておらず、申立人と相手方とが再び一男と共に生活を共にすることを望んでいる。相手方は、申立人との離婚の原因となった異性関係の相手である内田ナツコと依然関係を続けており(相手方の供述中これに反する部分は措信しない)、近い将来婚姻してもよいという意向を有しているが、内田ナツコに先夫との間に二子があり、結婚の暁に一男を養育監護し得るか否かは明らかでない。

(三)  他方申立人は、電器会社に勤務し、一ヵ月金一五、〇〇〇円の給料を取得しているが、勤務時間が午前九時から午後五時にわたる関係上、昭和三八年一〇月から美子を保育園に通わせており、本年六月頃までには勤めをやめて、袋物や荷札の印刷加工の仲介業を営む弟田口哲男(二〇歳独身)の仕事を現在の居宅において手伝う目算を立て、美子のみならず一男を手許において養育する用意のあることを訴えている。

三  当裁判所は、以上の事実及びその他本件にあらわれた申立人相手方及び本件未成年者らをめぐる諸般の事情を綜合勘案した結果、申立人の本件申立を全部容れることを相当と考える。即ち、未成年者宮井美子の親権者を申立人に変更することについては、これを拒む理由は何一つ見出せない。問題は未成年者宮井一男についてである。申立人の結局意図するところは、一男を引取り養育するにあることは察するに難くなく、親権者変更は、その前提段階としての意味をもつものであるから、これが許否を決するについては、矢張り申立人が美子のほか一男をも引取って養育できるかどうか、できるとしてもそれが一男の福祉にかなうかどうかという観点から検討されねばならない。とすれば申立人の生活環境はもとより十分とはいえず、二子の養育は不可能ではないにしても相当な困難-特に物質的な面で-が予測される。しかし他面相手方との比較においてこれをみると、成程一男にとって現状は、物質的には申立人の許にあるよりかは恵まれているといい得ようが、その精神生活即ち情操その他人格形成の面では叙上のとおり甚だ不安定な要素を多く包含しているといわなければならない。一男の現在の年齢を考えると、この視点は頗る重く考慮すべきであり、経済的な面での不安は残しつつも、この際母である申立人の許で、妹である美子と共に生活することが、一男にとって重要な意義を有するとみるのが至当である。

一男の親権者もまた相手方から申立人に変更することは、そのため不可欠の前提と言っても過言ではない以上、これが申立は許容されねばならない。

以上の次第であるから、当裁判所は一男及び美子の両名につき、その親権者をいずれも相手方から申立人に変更することを相当と認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高野耕一)

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